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昔ばなしを読んでみよう!

株式会社 ジャパン・マーケティング・エージェンシー(JMA)は
1968年の創業より日本のマーケティングリサーチをけん引してまいりました

2024年の幕開けにあたり、本サイトでは
日本ジャパン商売繁盛マーケティング代理店エージェンシー昔ばなし」と題し
JMAとマーケティングリサーチの今昔をご紹介します

昔ばなしを読む
1
うらしまグルイン
2
Web太郎
3
MROC姫
4
一寸アイ
トラッキング
5
わらしべ謝礼
花さか
エージェンシー
1
うらしまグルイン

昔、むかし、1939年頃、クルト・レヴィンという者がおってのぉ、集団を心理学的な力の場と考え、【場の理論】というのを提唱したんじゃ。

時は移り、日本のマーケティング・リサーチ昆明期、アンケート調査中心だった頃、浜辺に「定性調査」というものが流れ着き、いじめられて…はいなかったが、欧米からグループ・インタビューというものがやってきて、人が集まっておった。

JMAでは、日本でかなり早くからそれに目をつけ、消費者心理を深~く、深~く潜ってみると、竜宮城のようなインタビュー会場があり、乙姫のモデレーションにより、ミラー越しにタイやヒラメの踊りのように数々の発見があったのじゃ。

欧米は対象者7-8人で行うが、JMAでは「ディテールド・グループ・インタビュー」と名付け、さらに少ない6人で始めてみたんじゃ。日本人の消費者の意識を深めるには、6人が良かったようじゃのう。

インタビュー会場から戻ってきた関係者は、玉手箱いっぱいの多くの発見と、商品を消費者にdisられた疲れで、それはそれは老けた顔をしておったそうな。お疲れ様じゃ。

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グループインタビュー

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2
Web太郎

少しだけ昔、1995年頃、皆が秋葉原にPCを買いにいったところ「どんぶらこ、どんぶらこ」と、「Windows95」とかいうものが流れてきた。おじいさんとおばあさんも「これでインターネットにつながる!」と、たいそう喜んだそうじゃ。

インターネットは「Web」とも言われ、何に使えるか?マーケティング・リサーチにも使えるか?代表性がない…など激しい議論を巻き起こしたのぉ。

そんな中、JMAでは自社独自でWeb調査の仕組みを構築するなど、力を入れておったそうじゃ。

Webから生まれたWeb太郎はすくすく育ち、「アンケート島?に行きます」と言って旅立った。おばあさんからもらったポイント団子を使って、ランダマイズ犬、割付ザル、シェルフキジなどを仲間にしていったんじゃ。

そして、Web太郎は荒波を超えアンケート島を制覇すると、海外のパネルにも接続していった。
とはいえまだまだ課題は多くてな、今後もWeb太郎の活躍には期待したいのぉ。

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インターネットリサーチ

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3
MROC姫

少しだけ昔、2012年頃かのう…「MROC」は日本に上陸したんじゃ。竹が光って中から出てきたようじゃった。
その前から「掲示板グルイン」などオンラインで文字ベースの近いものはあったんじゃが、アンケートもできる、日記調査もできる、投票機能もあるといった多機能という意味では「MROC」は新しいもんだったのう。

MROCイメージ

JMAではいち早く「MROC」に取り組み、英国の「MROC」を試すなどしておった。そういえば、MROC事業部という組織を作ったこともあった。

その後、「MROC」は大ヒットとまでは行かんかったがすくすく育ち、長く生活に密着し、意見を聞き続けることができる点が良いと評判でのう…着実に使われ続け、10年を超え愛される手法として定着したんじゃ。

「MROC」は「なんちゃら姫」と違って無理難題も出さず、月に帰ることもなく、地道に頑張っておるぞ。求婚されても困る、するならまぁ「エンゲージメント」が良い塩梅じゃがのう。ホッホッホッ。

生活者理解をするなら、「MROC」で本腰入れるのもお勧めじゃ。インサイトは「どんぶらこ」とは流れてこないぞ…おっとこれは違う話じゃった。こりゃあ失敬。

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MROC

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4
一寸アイトラッキング

昔、むかし、19世紀ころから仏国とかいう国で目の動きは研究されておった。
とはいえ、それはそれは小さな動きでのぉ、一寸…いや、もっと小さくしか動いてはいなかったんじゃ。1900年代に目の動きの研究は進み、光で計測するなどゆっくり進歩していった。

アイトラッキングは2000年代に「私はマーケティングの世界に行きます、マーケティングの世界で立派な視線計測をしたいのです。」と言ったとか言わないとかで、お椀に乗る位のグラス型になって、マーケティングの世界のやってきたんじゃ。

アイトラッキングは各社に出向き、大きな声で「私の名前はアイトラッキングです、視線を計測させてください」と言ったのじゃ。

すると、ごちゃっとした販促物があらわれ視線を奪いに来た。アイトラッキングは「キャリブレーションして、針のように正確に視線を計測してやる!」といって大暴れ、販促物は視線でヒートマップを作られ「こりゃたまらん」と計測されおった。

残された打ち出の小づちを振ると、訴求点が整理され目につきやすくなり、商品の売り上げが大きくなっていたそうな。めでたしめでたし。

JMAでは、リテールラボという模擬店舗や、実際の店舗でもアイトラッキングを使えるそうじゃ、一度相談してみるのが良いぞ、ホッホッホッ。

アイトラッキングのページはこちら

アイトラッキング

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5
わらしべ謝礼

昔、むかし、マーケティング・リサーチがはじまった頃、訪問面接調査、会場調査、団地調査など直接対象者に接することが多くてのぉ、謝礼は手渡ししていたんじゃ。
とはいっても、最初から「金券」や「ポイント」だったわけもなく、謝礼は段々と変遷していきよった。

わらしべ…はさすがに失礼すぎるが、「モノ」でお渡ししていたようじゃ。
例えば「砂糖袋、ストッキング、ボールペン、ハンカチ」といった具合に、モノだったのぉ。

それから、「金券」の時代がやってくる。「図書券、食事券」など、そういったものが主流となったんじゃ。おや、筆者が遠い目をして「懐かしい」と言っているのぅ。

年長者に聞くと「銀座で通りを歩く人に調査ができた」とよく言うらしいのぉ。若い人にはさっぱり分からん話じゃ。そして、通りを歩く人にお願いするモールインターセプトから、プレリクルートに変わったあたりから、謝礼は「現金」になっていった。

そして、他で話したWeb太郎が活躍する頃じゃったか、謝礼もオンラインに変わってのう、「ポイントや、Amazonギフト」になったんじゃ。

わらしべ長者のように、謝礼もどんどん変わっていったようじゃの。そのうち、仮想通過にでもなるんかのぉ。

謝礼のページは‥ありません、かわりに弊社の沿革ページをご覧ください。

沿革

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最終話
花さかエージェンシー

昔、むかし、大阪万博より少し前の1968年のこと。
大阪に「日本マーケティング・エージェンシー」という小さな会社が生まれたそうな。

翌年には東京に進出。欧米からやってきたグループ・インタビューをいち早く日本に導入し、そのフロンティア精神で最先端のツールを使いながら、話題になったあの大ヒット商品や、あのロングセラーブランドの開発を支えてきたんじゃと。(ここでメーカー・ブランド名を明かせないのが悔しいのぉ……。)

日本のマーケティング・リサーチの進化とともに駆け抜けて、あっという間に半世紀。
今では、どんな難しい課題に対しても考え抜いて仮説を立て、最良の答えを探り出すプロ集団になったそうな。

心に深く埋まっているインサイトを掘り当て、大判小判がざっくざく。競合がひしめく市場の焼野原でも、灰の中から新しい価値を見出し、枯れ木に花を咲かせましょう。

こうして、お得意様は商売繁盛、千客万来。
社会はより豊かで快適になり、人々はみな末永く幸せに暮らしましたとさ。

めでたし、めでたし。

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